前回はどうして学校に行くのかをいくつかの視点でみていきました。
では学校へ行くとして、学校では実際にどのようなことが学べるのか、そこにどのような意味があるのかを見ていきたいと思います。
プライベートでは歌うことが趣味。
私たち大人は、社会に出てから、仕事相手や友人相手、子どもの通う学校の先生など、気づかないうちに多くの人と関わっています。
そして、自然と身についた経験に基づく勘で、それぞれの関係性や距離感を測りコミュニケーションをとっています。
それはいつ、どこで身に付いたものでしょうか。
実は私たちは幼少期から、学校という1つの大きな社会において、友人や先生など、毎日関わる人を通して学んできました。
それを踏まえたうえで、私たち大人が伝えられることは何なのか、
梶谷さんが教員時代、お子さんと関わるうえで大切にしていた”しつけ”についてお伝えしていきます。
私は、子どもたちとの信頼関係があるという前提のもとで、”しつけ”という部分をとても大切にしていました。
授業では ”与えた課題を解いて先生に丸つけをもらう” という場面がありますが、子どもたちには徹底的にルールを守ってもらっていました。私に丸つけを貰うときは、「お願いします」という言葉と、私が見やすい向きで、そのページを開いて見せる。丸をもらったら「ありがとうございました」と言う。
そこで、並んで次を待っている人がいるのに、お喋りなどをして何の準備もせず、目の前に来て慌てて準備をするようなことがあれば、「並びなおしてください。後ろの人たちに失礼です」というようなことです。
こういった関わりをするうえで、最初に子どもたちに話すことがあります。
「将来働くときに、相手のことを考えて動く人は信頼されます。この教室では目上の立場にある私に対して、目上の人に対する態度で接してください。
これは子供だからという理由ではなく、私もそのような場面があります。
例えば、廊下で校長先生が椅子を運んでいて、私(先生)が手ぶらなとき。何も手伝わず ”こんにちは!” と通り過ぎたら、校長先生にどう見られるかわかりますか?使えないと思われますよね。持ちますと声をかけることで、 ”良く気づく、礼儀正しい先生だな” と思われる。
そういった、目上の人や年上の人を敬う、というところが、社会においてとても大事なことだからです。」と。
例えば授業を受ける際、「つまらない」「めんどくさい」と言われたら、「色々と考えて準備をして授業をやっている私にとても失礼だし、嫌な気分になりました。じゃああなたがやってみてください。」と指導書を渡し前に立たせます。
自分が気に食わないから感情的に怒るのではなく、痛めつけたいわけでもありません。私の中にいつもあるのは、「この子が大人になって同じようなことを相手にしたときに、本人が得をするか損をするか」ということです。
大人になったときには誰も言ってくれない。子供のうちに、将来必要なマナーや礼儀を伝えられるのは先生や親しかいないからです。
きちんと相手のことを想って、伝えるべきことを遠慮せず伝える。
そういった意味でのしつけを、大切にしています。
そんななかで、校則があり、守るべき時間があり、色々なルールが存在するなかで、
真面目にしたり、時にはふざけてみたりして、どこまでが許されるのか、大人の反応をみて試していたようにも思えます。
今と違って昔は、先生に叩かれたり怒鳴られたり、割とそういった教育が残っていた時代でしたよね。
今の時代、暴力で躾けるということは悪とされますし、実際に望ましい行為ではないでしょう。
ただ、そういった風習がなくなった今だからこそ、私たちが怒鳴られたり叩かれたりして「これはダメなんだ」と学んだことを、しっかり言葉で説明する必要があるのではないかとも思います。
社会に出ると当たり前のことのように思えますが、それができない大人がいることも私たちは見て知っていると思います。
大切な我が子が将来損をしないよう、人との関わりでできるだけ生きやすく過ごせるよう、大人の目がある子どものうちに、私たち大人が意識して声をかけていきたいものですね。
元小学校の先生で、現在は子供達と関わる先生に向けた塾「未来学園HOPE」を運営されている…
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